レーマン方式の生い立ち(抄)
--投資銀行の報酬を巡って--
(M&A専門誌「M&A Review」掲載記事より)
| 1.M&Aとの出会い 私(筆者)がM&Aの世界に足を踏み入れたのは、昭和60年2月。D社M&A部、これが新しい職場だった。M&Aという言葉すら知られていない頃だ。 私がM&Aに近いものを(プレーヤーとしてではなく)垣間見たのは、それを遡る四年間。私が勤務していた監査法人は株式公開前の準備や会社更生に関する仕事が比較的多かった。若い会計士は、著名な大企業の監査をしたがる傾向が強く、公開前の中小企業や倒産会社の担当を好む者は少ない。結局、私は優良企業の監査にはほとんど関与せず、公開準備や更生の仕事に多く従事した。 当時、公開のハードルは今より高く、目指した会社の全てが公開できるわけではない。自力公開が困難な会社は第三者割当や株式譲渡などM&Aの手法により大手との関係を強め、公開に挑戦することも多かった。 また、公開を目指す会社は親会社やオーナーからの独立性が必要で、公開前には関係会社等の整理をする。この手法として合併、本体への営業譲渡、他者への売却などを使う。 一方、会社更生法の申請をしてもスポンサーがつかなくては裁判所は更生の開始をなかなか認めない。M&Aでいう買い手が必要なのだ。ところで、会社更生では会社の資産・負債の評価が重要だ。会社更生は再建が目的なので、評価においては伝統的評価方法だけでは必ずしも通用しない。例えば、土地は売却を前提としないので公示地価や路線価または売買事例に基づき時価評価する方法を採るというより、原則として収益還元法を重視していた。不要資産は処分が前提なので簿価ではなく、処分費用を考えるとマイナス評価すらあり得る。負債も、例えば退職給与引当金は税法基準の自己都合退職の40%を積めば良いというわけにはいかず、会社都合の100%とし、場合によっては割増金まで見積ることもある。また考え方として、長期債務を現在価値に割引く。こうして経営をスリム化し、入ってくるキャッシュフローを数通り見積り、弁済すべき債務などの出ていくキャッシュフローとのバランスを見極める。今はやりのキャッシュフロー経営が再建のための更生計画策定の基本となる。更正法によるM&Aで再建した例としては吉野家、大沢商会など多数あった。特に吉野家では、今でいうM BO(より厳密には従業員持株会による資本参加)とセゾングループからのMBIにほぼ近い手法が同時に使われたケースでもあった。 このように、私はM&Aというものを比較的近くで見ていた経験があった。その時にD社がM&Aの部署を新しく立ち上げることを聞き、熱心に入社を勧められ、何となくこの世界に入ることになる。今では当たり前となったが、当時の金融機関の中途入社の先駆けだった。
2.手探りからのスタート 当時米国では第四次M&Aブームの真っ盛り。しかし、日本ではM&Aというと何やら『後ろめたい』響きがあった。イメージとしてはレイダーがジャンク債で資金調達し、LBOによりターゲットを敵対的に買収し、その後切り売りするというフィナンシャルバイヤーの行為と紹介されることが多かった。経済界やマスコミも『M&Aはマネーゲームという名の乗っ取りであり、日本的経営にはなじまない』と否定的であった。
そんな頃、同社では『企業提携』という日本語としての適訳語を前面に押し立てて、専門部署(当然、名刺の裏は「M&A Dept.」である)として活動を開始した。 当初の一年間は、主に大会社のM&Aニーズのヒアリングと、当時は数が少ない売り案件の発掘に終始した。いくつかの案件はあったが、すぐ成約とはいかない。案件は、系列会社のベンチャーキャピタルの塩漬け銘柄や営業体からの紹介で、自力公開が困難な会社や救済型が多かった。しかし、成約の見込みの有無とは関係なく、部として立ち上げたからには、実務の確立が必要である。仲介する側が『何をどうしていいのかわからない』とでは、フィービジネスとして成立しない。入社前に、何とかM&Aに関する国内文献を過去20年分位集めたが、従来の合併や営業譲渡の手続の解説ばかりで、仲介者として実務上知りたいことは書かれていない。例えば、マンデイト、フィーの取扱いをどう決めればよいのか、また買い手にはどの程度情報を提供すれば良いのか、デューディリジェンスの内容、クロージングまでに何をなすべきか、などである。
当時、わが国に上陸していた外資系も多くなく、M&Aのプレーヤーも少なかったのか専業従事者には出会えなかった。
3.「事業売買マニュアル」を片手に
そんな中、偶然1971年に発刊された事業売買マニュアル(著者CHARLES.A.SCARF)に幸運にもめぐり合った。前文によると、
私は法律、税金、証券および会計上の諸局面については、技術的なことなので最新のこれらを集めれば良いと考えた。例えば、ポイズン・ピルやゴールデン・パラシュートなどは米国の文献も相当ある。しかし、インターネットのない時代であり、情報集めには骨を折った。ただ米国の実務を知り得れば、後は日本的に直すだけだと考えた。
4.発見者と仲介人
この書物は仲介に関する諸取り決め、報酬の取り決め、取扱手数料問題をどうするかについて大変参考となった。 同書によると、
『事業の発見者と仲介人の間には法律上区別がある。事業の発見者とは、当事者を発見し、興味を持たせ、紹介し、当事者が交渉し決行する取引に導く者をいう。発見者は、取引の条件交渉に関与しない中立人または中間者である。 とある。そしてこの区別により、米国ではフィーの請求の面で次のように区別されていた。 『ある事情のもとでは発見者は買手および売手双方から報酬を受けることができる。そしてこれは両当事者が報酬の二重支払について知らなかった場合も同様である。一般には仲介人は両当事者が知らない場合は二重の報酬を受けとれない。なぜならば、本人に対して誠実義務を負っているからである。』 とあった。後にこの区別が、あるディールで役立つこととなる。 買収金額200億円を超えるこのディールでは、話を持ち込んだ買い手の日本企業が、『交渉は自分たちでやる』『自分たちだけでできる。海外取引や進出のノウハウは充分に持っている』という。私たちは『M&Aのディールは通常の交渉のようにこちらの条件全てを呑み込まさせれば勝ちというような単純なものではない。相手に負けたと思わせないのが勝ちなのだ。』(注1)『買収のストラクチャーや評価など、自分たちを活用できるところは沢山ある』と訴える。だが結局はメンツで押し切られ、交渉の代理人というより『口利き及び評価鑑定人』の地位となった。何とか、『売り手を見つけたので後は売り手と直接やって下さい』という単なるファインダーとなることは避けることができた。結果、フェーズ1、フェーズ2とディールの進行状況に応じてフィーを取ることに成功したのである。(余談だが、後にこの会社は87年当時M&Aについての知識はほとんどなく、私たちが何気なく使っていたゴールデン・パラシュートやストック・オプション、DCF評価などの用語の意味がよく解らず、関係部署を総動員して解明することになったことを明らかにしている。) 時間を買うこともM&Aのメリットの一つだが、日本の企業はどうも社外アドバイザーを雇うことにより自分で調べる時間を節約するという発想は、現在においてもまだ欠けているように思う。
(注1)最近では『ウィン・ウィン(Win-Win)の関係』と言われることが多い。
5.フィーの決定:レーマン方式を巡って さて次に、フィーの水準である。基準がない相対交渉に任せると、社内のファインダーも売り手や買い手に何と言っていいのか困ってしまう。本にはこう書かれていた。
『仲介人手数料または発見者の報酬額が場合に応じ非常に異なるが、一定の公式が展開され、取引が完結したときの仲介手数料及び発見者の報酬を決定するための公式としてしばしば提案されている。(下表)
買手または売手及び仲介人の権利は契約条件によって決定されるので、仲介人はその義務を実行し終えた後に合意済の手数料を受け取ることができる。しかし契約が黙示の場合は、仲介人の報酬額も決定されていないであろう。にも拘らずその契約は有効であり、支払われる手数料の額が未定の場合には妥当な対価が暗黙のうちに了解されているわけである。特定の買取において妥当な対価を決定するのに非常に多くの要因を考慮しなければならないので、あらゆる場合における妥当な対価決定の一般的な法則を作ることは不可能である。しかし黙示の手数料を決定する方法を示唆すれば、一般的な原則としては、仲介人または発見者に対し、(1)慣習その他で決まっているかかる仲介人の標準報酬と等しい、(2)準拠州の制定法が手数料を決定している場合にはその法に述べられている、または(3)当該仲介人または発見者の通常の報酬が妥当な場合にはその通常の報酬の、手数料または報酬を充分に支払うものでなければならないということである。』 公式は、いわゆるレーマン方式である。私はここで上記(2)の『準拠州の制定法が手数料を決定している場合〜』という文言に米国ではフィーが法定されているのかと驚嘆すると同時に判例等を調べ、上記表が当時の標準的な料金であるとのおおよその確証を得た。あとはどう日本風に変えるかであったが、いろいろ調べ上げた割にはあっさりと決まる。同書の刊行時は71年、つまり、ドル・ショック前の固定相場の1ドル360円で計算した。すると表の区分は3.6億円の区切りで14.4億円を超えた部分が1%となる。これを元に余り深く考えずに、物価水準から見て5億円以下は5%、そしてM&Aブームの米国では100億円を超えるディールが次々成立していたので、特に根拠もなく100億円を超えれば1%ということにした。 その半年後、社団法人日本工業技術振興会がM&A研究会を作った。M&Aの仲介者ばかり多い会合で、大手証券は幹事役となり、このフィー体系は広く知れ渡ることとなる。銀行が国内のM&A部署を正式に設立する以前の頃だ。(とは言っても、他にもフィー体系の元祖決定者は自分だという人もいるだろう。ただ、偶然見つけた前著作は71年と古く、また相当な厚さの本でもあり、原典はおそらく同じではないかと私は思う。)(注2) (注2)同著が書かれた頃はゴールドマン・サックスやモルガン銀行など、アメリカでもまだ一部の金融機関にしかM&A部署はなかった。
さて、他にも実務上必要だったものは、マンデイト(授権証書とも言うが、一般用語では依頼状だろう)、コンフィデンシャル・アグリーメント、レター・オブ・インテント、売り手及び買い手の表明と保証書などがある。
この他、D社では85年より国内初のM&A関連のニューズレターを発行し、M&Aの実務、例えば売り手経営者の陳述書、従業員の処遇の協定書やオーナー経営者に対する日本型ゴールデン・パラシュートなど、種々の事例を公表、またM&Aに関する統計作成もこの頃から行った。 |
以上 M&A Review(C) 1999年7月15日発行第13巻第4号 通巻149号掲載
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